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歴史パノラマ探訪

ツアー名 歴史戦シリーズ 極東ロシア編
ツアー日程 8月7日(日)〜8月11日(木) 5日間

8月8日(月)

<シベリア抑留について>

  1. 1.大東亜戦争・終戦時、満洲・朝鮮半島で武装解除された我将兵は、ソ聯に連行され、極寒の地で満足な食事や休養も与えられず過酷な労働を強要され多数の将兵が死亡した。
  2. 2.「シベリア抑留中死亡者に関する資料 厚労省HP」
    ソ聯地域抑留者:575,000人 帰還者:473,000人 死亡者:55,000人

17:05〜17:20 シベリア慰霊平和公苑
元日本人抑留者収容所跡に平成7年(1995)我政府・外務省・厚生省、ロシア連邦、ハバロフスク市、大東亜戦争戦没者慰霊協会など抑留4団体等により建てられた。

  • イメージ(入口正面 平和慰霊公苑碑)
  • イメージ(シベリア戦没者慰霊碑)
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(高さ5m 長さ10m赤煉瓦造りのモニュメントにて慰霊祭)

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(高さ5m 長さ10m赤煉瓦造りのモニュメントにて慰霊祭)

17:30 アムール橋(車窓)

  1. 1.工期:1913年〜1916年、鉄橋部品はポーランド製品。
  2. 2.11階部分:車道  2階部分:鉄道
  3. 3.1991年10億ドルの経費をかけて修繕
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18:05〜18:55 ショッピング(夜行列車用の飲食)

18:35〜19:55 夕食「Bierkopf」
グリークサラダ チクンヌードルスープ ビーフストロガノフ キャロットレーズンパイ

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20:00 ハバロフスク駅着

  • イメージ(夕日に映えるハバロフスク駅)
  • イメージ(寝台列車・「オケアン号」)

21:00 寝台列車 オケアン号にてウラジオストックへ。(車内泊)

8月9日(火)

08:15 ウラジオストク駅着。

  1. 1.シベリ鉄道東端駅でモスクワまで9,288km。
  2. 2.1894年ロシア建築様式による石造り駅舎が年建設され、床には今も現存する日本製タイルが張られている。
  3. 3.1912年駅舎上部はモスクワのヤロスラヴイリ駅に似た様式に建て替えられた。
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@日本語ガイド:Mr.Evgenii Pustovoit(ジェーニャ氏) 

  • イメージ極東連邦大学講師(専門:日本の歴史)

<ウラジオストク/浦塩>

  1. 1.北緯43度7分 東経131度55分 沿海地方南部ピヨートル大帝湾の南のムラヴィヨフ・アムールスキー半島(長さ30km幅12km)南端部に位置するロシア海軍太平洋艦隊基地がある軍港都市。
  2. 2.ロシア名:ウラジヴォストーク「東方を支配する町」ウラジヴォストークは「東」を意味し、ウラジーは「領有・支配する」を意味する動詞(ヴラヂェーチ)から来ている。
    中国名:海参崴(ナマコの入り江)
    日本名:浦塩斯徳 通称・浦塩/ウラジオ
  3. 3.面積:市域・561.54km2
  4. 4.標高:40m
  5. 5.人口:594,701人(2002年)

<ウラジオストク/浦塩の歴史>

  1. 1.19世紀までは清国が満洲の1部として支配。
  2. 2.1860年北京条約により沿海州一帯を清国から獲得したロシアが州南部に建設した都市。
  3. 3.1860年測量開始、1863年仮小屋が建てられ、1878年ニコラエフスクから海軍施設が移設されると人口が増加。
  4. 4.1897年の人口は、ロシア人・支那人・朝鮮人を含め25,000人。
  5. 5.19世紀末太平洋への玄関口として、又ロシアの悲願の不凍港として、極東地域の重要港軍港となり、造船所やドックが建造された。
  6. 6.日露戦争時、当港を母港にするロシア太平洋艦隊(巡洋艦隊)が日本海を航行する我国船舶に対し通商破壊作戦を行った。
  7. 7.黄海海戦後旅順艦隊の一部が当港に逃亡、ロシア太平洋艦隊の指揮下に入り、日露戦争後主な艦艇はバルト海へ帰還、ロシア太平洋艦隊はシベリア小艦隊に縮小された。
  8. 8.明治38年(1905)までに支那領ハルピン経由でモスクワとウラジオストクを繋ぐシベリア鉄道(一部東清鉄道)が建設された。
  9. 9.明治45年(1912)我国とウラジオストク航路に接続する国際列車が新橋駅(大正3年・1914からは東京駅)―金ヶ崎(後敦賀港)で運行開始。
  10. 10.ロシア革命後、日・米・英等がシベリアに出兵、大正9年(1920)から大正11年(1922)の間極東共和国の支配下にあり、白系ロシア人が押し寄せ、人口が97,000人から410,000人に急増。
  11. 11.大正11年(1922)10月25日我軍撤兵と赤軍支配により人口は108,000人に急減。
  12. 12.昭和10年(1935)ソ聯邦海軍・太平洋艦隊が創設された。
  13. 13.昭和13年(1938)ソ聯邦沿海地方の州都と共に軍港として重視され、ソ聯邦崩壊まで外国人の居住とソ聯国民の立ち入りが禁止された閉鎖都市。
  14. 14.ソ聯邦崩壊後、閉鎖都市指定が解除され我国と定期航空路が開設された。
  15. 15.平成24年(2012)ルスキー島でロシアAPECが開催された。

<日本との関係>

大正9年(1920)頃、6,000人の我居留民が暮らし活発に日露の交流を行っており、我国民の商店や企業が多数進出し、町には浦塩本願寺等があった。

08:45〜09:30 朝食「Stukkenberg Cafe」

  • イメージビュッフェスタイルの朝食

09:40〜10:00 中央広場(300m2

軍事パレードが行われる広場。

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10:10〜11:10 ニコライ凱旋門
訪日時「大津事件」に遭遇した皇太子時代のニコライ2世が帰国の際ウラジオストクに入港し、シベリア鉄道定礎式出席を記念して建立。

  • イメージ正面
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